「パルケフットボールエリア大府」の由来とは?その1
皆さんこんばんわ。パルケフットボールエリア大府の加藤陽太です。
今日はパルケフットボールエリア大府の名前の由来について書いてみたいと思います。
そもそもこの場所を作ったのは「近くの友達が自然と集まって好きなことをする」という自身の原体験がきっかけでした。
子ども達向けのサッカーが出来る場所を自分で作りたい!と夢見ていたのは随分昔からのことでして。
思い返すと、高校時代の進路相談では「夢は高校の先生になりサッカー部の監督になり全国大会に出場したい」などと考え教員免許の取得可能な大学に進学。大学のサッカー部に所属しながら学園祭では部員による小学生向けのクリニックを企画したり、大学生活の傍ら実家近くのフットサル場でのサッカースクールに勉強しに行く毎日。そこでジュニア(小学生)世代やジュニアユース(中学生)世代の指導にのめり込み、そこからは常に幼児から中学生と共に過ごす毎日となりました。
現在は大府市のお隣りの名古屋市緑区で活動する「緑フットボールクラブ」で主に中学生を中心に指導をしながら、パルケフットボールエリア大府を開催する毎日です。
前置きが長くなりましたが、ここからが本題でして…。
基本的には同学年で色々な市内市外から集まりトレーニングやリーグ戦を行いながら中学3年間で高校に向けて成長していこうというのが基本理念。
もちろんそこに関わらせてもらうだけでもものすごく充実したフットボールライフだったのですが、「自分が子どもの頃のように近くの広場で色んな奴ととにかくボール蹴りたいって子もいるんじゃないか?」と考えることが多くなりました。
学校が終わるとランドセル放っぽり出して学年が上のお兄ちゃんや同い年の友達、通学団の年下からたまには誰かのお父さんまで参加してボールを蹴ってたその思い出は色褪せることなく自分の心のど真ん中に残っていて…。
夕方から日が暮れるまで近所の広場や公園でひたすらその時その時のメンバーで蹴ってた記憶とリンクし、そうだ!広場だ!ボールを蹴りたいみんなが集まる公園みたいなイメージだ!
なんて安易な考えでスペイン語で「公園・広場」を意味する「P arque・パルケ」に決まったというわけです。
昨日も一昨日も学校が終わり、宿題を済ませ(?)元気に「こんにちわ〜!」と挨拶をしてグランドに繰り出す子ども達。
それぞれみんなの「近くの友達が自然と集まって好きなことをする」という原体験がパルケフットボールエリア大府であるように願うばかりです。
一気に説明しようと思ってましたが予定通り長くなったのでその2に続きたいと思います。
本日もお付き合いありがとうございます。
本日はこのへんで。
皆さん良い週末を。